VOL.4 前井出 隼也(まえいで としや)さん
道を歩けば牛に出会うという島まるごと放牧地といっても過言ではないこの知夫里島で、牛を生業にする。
この島では、牛飼いと呼ばれている職業、畜産業が盛んです。
島で生まれ育ち、本土で一度はたらき、Uターンをして父の生業、牛飼いを継いだ前井出隼也さんに牛飼いの魅力についてお聞きしました。
■ 知夫里島という牧(まき)
俺はここが日本一だと思っている。ここで勝負していく。
知夫里島で牛飼いをすることの最大の特徴は、なんといっても環境にあります。
牛舎はあれども、育つ環境はほとんど、山に。
この島の半分以上は、牛の放牧地になっています。
知夫里島にいる成牛(親牛)は、メス牛ばかり。人工授精して生まれた子牛を売る、肉用牛繁殖経営が主です。
放牧地とのことを、ここでは牧(まき)といいます。牧には、いくつか場所によって名前があります。
赤はげ山の牧には、成牛の中でも、種付けする牛しかいません。
牛飼いさんの中のルールです。
知夫里島の牧は、公共牧場として、村が管理しており、基本牧には、何人もの牛飼いさんの牛が放たれています。
特に赤はげ山は見晴らしが良く。遠くからでも牛の動きや様子がわかります。
もし、普段と様子がおかしいとなれば、発情期の可能性が。種付けする準備ができているということです。
もし、ほかの人が飼っている牛だったら、その人に伝えることをしてみんなで牛を見ます。
牛を飼うのにこの島の環境はすごいと感じている、と隼也さんは教えてくれました。
■何かしてる、が欲しかった。そこにおやじの一言があった
牛飼いへの挑戦
隼也さんが、牛を始めたのは25歳のころ。
当時は、知夫里島で単発の仕事があると聞き本土から戻ってきて、期間限定の仕事の日々。
きっかけは、お父さんのふとしたひとこと。
「牛、売らないけんなぁ」
誰に向かって言うでもない、牛舎でこぼれた言葉。
仕事を継げとはいわれたことがない隼也さんの胸に刺さりました。
おやじは口も出さずに、だまってサポートしてくれた。
それがとてもありがたかった。
一生懸命にがんばった、と隼也さんは思い出します。
最初2頭から始めた牛も今では、70頭あまり。
その当時、牛飼いだけで生きていく人は、少なかったそうです。
隼也さんも、何かしら他の仕事をしながら牛飼いをしてました。
牛市で値が付くと、一頭、30~40万くらい。
これがたくさんだと…やってけるのでは、と考え、兼業していた仕事で稼いだお金をすべて、
牛を増やすのに費やしていきました。
■愛情は絶対的にこだわる
究極の矛盾の中での仕事
生き物相手だから全部自分に返ってくる。愛情がない人はやってはいけないと隼也さんは考えます。
こだわりは、愛情。あとは健康管理。自分も牛も、体を大事にします。
牛飼いの魅力は、どう伝えていいかわからないという隼也さん。
牛はかわいい。かわいい,かわいいと、いっても、焼き肉は食べる、という葛藤。
何とも言えない牛飼いのつらさ。
結局命をいただいているから、お金になったりすることを素直にうれしいとはいえないそうです。
伝えられるのは、感謝という言葉。
とくに牛市で子牛を売る時の心の切り替えが難しいといいます。
命をうませてそれをうばいとってそれをお金にして生きているから、複雑な気持ちを表現できないと苦い顔をしていました。
それでも牛飼いの仕事は、ハッピーなこともたくさんあると教えてくれました。
隼也さんの育てている牛は、兎に角人懐こい。
生まれたばかりの子牛を説明してくれる隼也さんの姿は、それを感じさせくれます。
■この島があるから
今後の目標は、30代のうちに100頭以上飼うこと。
今までに、島で100頭飼っているひとがいないから、目指したい。
それを土台にして、島に還元できることをしてきいたいそうです。
この島があるから、自分は牛飼いができる。恩返しがしたい。
隼也さんが島に戻ってきたころ、仕事がないことにとても苦労したそうです。
なので、この島が好きだけど、仕事がないから住めない人へ向けて雇用を増やしたい。
牛飼いの仕事は、主に朝夕の活動時間。お昼の時間が空いたりします。
いずれは、そのお昼の時間に観光系の起業も視野に入れている隼也さん。
そこで、働く場所を増やしたり、遊びに来た人たちを楽しませたい。
海からこの島を見てほしい。今でも、わくわくする。
クルージングで外から見た、この宝島みたいな知夫里島を、見てほしいと楽しそうに話してくれました。
隼也さんはお弟子さんも、ぜひほしいそうです。
生き物を扱うデリケートな職なので努力してくれる人。
合間に観光業も一緒にしてくれる人。
また、自立したい人は、気持ちがあるのなら、すぐはじめたらいいといいます。
自立のサポートは無償でしてあげる。初心者でもこの島ならできる、と強く語ってくれました。
■10年後の知夫に思こと
この島はこのままでいい。けっこう普通だ。外から見たら不便でも。
みんなの住みやすいって何だろう。
人口がこのまま減っていっても住んでいる人たちが、楽しかったらいい。
不便さを便利にしていく開拓ではなくて、この島に住んでいる人が幸せならと隼也さんはいいます。
不便さを上げだしたらきりがないけれど、コンビニやショッピングモールとかはいらないのではないか。それらがないことで、不便さは感じないかな。
そんな前井出隼也さんが知夫里島を一言で表すと。
「愛」
愛しかないけんなぁ。
ここで生まれ育った人は、みんな愛しかないと思う、愛があるからこの島におる。
と隼也さんはゆっくり言葉を紡ぎました。
島から受けたいっぱいの愛を、隼也さんは、牛や知夫里島の未来へそそいでいくのでしょう。
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